カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[110]

投稿日:2013年11月18日

義経北行伝説の岬

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2008年12月10日

「羊蹄山一周」を終えて日本海に出ると国道229号を南下。寿都の「セイコーマート」で弁当の「焼きうどん」(305円)を食べ、弁慶岬に立った。ここも積丹半島の神威岬同様、「義経北行伝説」の地だ。
「義経北行伝説」というのは義経と弁慶の主従は奥州・平泉の地で死んだのではなく、それ以前に三陸の宮古に逃れ、宮古からは八戸、十三湊を経て三厩から北海道の松前に渡り、日高の平取から日本海に出て雷電岬から船出したというものだ。
「義経北行伝説」のルート上には点々と義経神社や義経寺などがあり、伝説をもっともらしい話にしている。
 岩内の雷電岬には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。義経主従がこの地で休憩したとき、弁慶の刀が大きすぎて置くことができず、「エイッ!」とばかりに岩をひねってつくったという刀掛けだ。また弁慶が背負っていた薪を降ろしたという「薪積岩」もある。
 国道229号沿いの弁慶岬には弁慶の銅像が建っている。大男の弁慶は高下駄をはき、右手にはナギナタを持っている。
 弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けたところ」を意味する「ペルケイ」。それに「弁慶」の字を当てた。岬の近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。ここは弁慶が地元のアイヌ人たちと相撲をとった土俵の跡だという。弁慶のはいていた高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神としてあがめる習慣がこの地には色濃く残されている。
 日高の平取には義経神社がある。祭神は義経だ。
 義経神社は「競馬の神様」にもなっている。毎年2月の初午の日、ここでおこなわれる「初午祭」の「矢刺の神事」には大勢の馬牧場の関係者や調教師、馬主など競馬に携わるみなさんが参列する。
「矢刺の神事」は馬上からその年の凶方に向かって破魔矢を3本放ち、悪魔を降伏させる神事。その際に放たれた矢を拾うと幸運が訪れるということで、参拝者たちは我れ先にと争って矢を拾う。これは義経が騎馬武者であり、馬を大事にしたという故事にちなんだ「愛馬息災」、「先勝祈願」の神事なのである。
 義経神社の境内には「義経資料館」がある。
 義経神社は寛政10年(1798年)、幕府の命を受けた蝦夷地探検家の近藤重蔵がこの地に「義経北行伝説」の残っていることを知り、翌寛政11年に江戸の仏師、橋善啓に義経像を彫らせ、この地のアイヌに祀らせたのがはじまりだという。
「義経北行伝説」はきわめて興味深い。
「いつの日か、平泉から積丹半島まで、この伝説のルートをきちんと追ってみよう!」
 とカソリ、弁慶岬の弁慶像の前で強くそう思うのだった。

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昼食の「焼きうどん」
弁慶岬の弁慶像


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弁慶岬の灯台
弁慶岬突端の岩礁


資料写真

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日高・平取の義経神社


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